長安寺本堂

開山堂 工事

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長安寺開山
受天英祜禅師

 長安寺は永正二年(一五0五年)に開創されまして、今年で512年目になります。長安寺を開いた方が受天英祜(じゅてんえいこ)大和尚です。
ご開山受天英祜大和尚は、五百五十二年前の寛正五年(一四六四年)に甲州(現在の山梨県)で出生されました。
幼少より出家の志強く若くして得度し、修行の旅に出られました。この間、三十数人に及ぶ禅の指導者を訪ね歩いて最後に甲州の広厳院・無嫡香健和尚に会われました。
英祜師が訪ねた時、無嫡和尚はちょうど面壁(坐禅)修行をしていました。英祜師は「特に遠方はるばるあなたをお慕いをして来た私に御言葉を下さい」と尋ねたが何の返事もなかった。再三に及んだが何の返事もないので、英祜師は荒い言葉で「和尚を殴ってやるぞ」と再問したがなお何の返答もなかった。仕方がないので支度を整え門の外へ出たがやはり後にひかれるものがあったので外から中を覗いていると和尚はようやく坐禅が終わって外に出てきたので、英祜師は「和尚の正法眼(教え)は何ですか」と問うと、「庵の南、庵の北、山また山」と答えられた。
英祜師は惹かれるものがあり遂に弟子になって20年間ここで修行されました。
英祜師が四十四歳になった年、房州の豪族 正木時綱(長清院殿古山正範大居士)が受天英祜和尚を拝請して長安寺を開創しました。その後、嫡男の正木大膳時茂公(開基、長安寺殿武山正文大居士)の帰依を受け数年ならずして大伽藍が完成し、時茂の娘、里見義頼(里見義弘の子)の室「御隠居様」(中興開基、龍雲院殿桂窓久昌大姉)が中興開基とされました。
英祜師は自ら「受天民」と称し遠近より集まった修行僧を厳しく指導し、長安寺を修行道場に作り上げました。
開山英祜和尚は長安寺で三十九年間を過ごして、長安寺発展の礎を築いたのであります。そして天文十三年(一五四四年)十一月六日八十一歳で坐禅をしながら亡くなられました。

 

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